ぎりぎりトライアングル

出 版 社: 講談社

著     者: 花形みつる

発 行 年: 2001年04月


ぎりぎりトライアングル  紹介と感想 >
誰と一緒におべんとうを食べるかが最大の山場。小学生の遠足のメインイベントは、実はそこにあったりします。ふだんから教室でひとりぼっちで、どこのグループにも属していないノリコにとって、これはとても難しい問題でした。五年生のクラス替えがあってからの女子のグループ再編成に乗り遅れてしまったノリコ。目立たず、大人しく、自分では何も決めらないタイプで、どこのグループの仲間にも入れてもらうことができなかったノリコは、この初夏の遠足をとても恐れていたのです。ところが、「どーせ、一緒に弁当を食べるやついないんだろ」とノリコを誘ってくれた子がいました。それは「巨大女」と呼ばれているクラス一大きい女子、シノ。彼女は六年生の男子にも負けない体格の持ち主で、根っからのケンカ好き。そして、シノの友だちのアリサも一緒です。彼女が「ボンバー」と男子たちからあだ名で呼ばれているのは、その爆発してしまったような髪のためです。運動神経が良く機敏で、フィリピン人と母と日本人の父とのハーフ。傍若無人なところはシノと一緒で、この二人が揃えば、その戦闘力にかなうものはいないと言われるコンビでした。クラスでも悪めだちしている、とんでもない二人にノリコは目をつけられてしまったのです。遠足のあとのクラスの席替えでも、すぐ近くに座ることになり、やけにフレンドリーなこの二人のペースに、すっかり巻き込まれていきます。こうして、おかしなトリオの一員となってしまったノリコの小学校生活は、次第にその姿を変えていきます。

成績は良いものの優秀な親族の間ではけっしてできる方ではないノリコ。小学校受験に失敗したことも、彼女の心を重くしています。それが離婚してシングルマザーのまま、姉や自分を育てている母のせいのように親戚から思われることも辛いのです。大学の先生である母のように、いつも百点だった姉のように優秀でなければならない。平均90点の自分ではダメだといつもコンプレックスに苛まれて、弱気になっています。シノとアリサには、いつの間にか友だちとして認識されているようですが、なんだかんだで、わがままな妹たちをフォローしてまわっているだけのような気がするノリコ。この二人が、けっして母が喜ぶタイプの友だちではないこともわかっています。母のタイプなのは、四年生の時まで同じクラスだったサヤカちゃんのような子なのです。でも、サヤカちゃんのグループに入れてもらっていた時の関係は、けっして対等なものではありませんでした。女王様のようなサヤカちゃんに下僕のようにかしづいていたノリコ。それにくらべると、今の二人との関係は不思議なのです。むちゃくちゃ乱暴だけれど、ノリコを助けるために闘ってくれる二人。夏休みも炎天下での遊びにひっぱりだされ続けて、真っ黒になっていくノリコ。イヤって言わない方が悪い。やられてもやりかえせないなんて、ただの弱虫だ。ともかく目立ってみようぜ、という二人の乱暴な理屈に次第にノリコも感化されていく自分を感じます。さて、そんな時、ノリコは、サヤカちゃんから、同じクラスのサワムラくんとの仲をとりもつように命令を受けます。サワムラくんのことをシノが好きなことを知っているノリコとしては複雑です。果たして、ノリコは言われるままの自分と決別することができるのでしょうか。

夏の旅。遠出をするわけじゃなく、子どもだけでアテもなくほっつき歩く旅。三丁目の公園を出発して、商店街を抜けて二丁目に入る。どちらに行こうか、と思ったら、一度も行ったことのない方向を目指して歩き続ける。知らない神社の境内のお堂で夕立ちをやりすごす。やがて雨がやんで、虹が出て、夕焼けが照り映える中を帰る旅の終わり。旅の途中でノリコが感じたのは、友だちと一緒で楽しい、という気持ちでした。こうした小学生時代のショートトリップには妙に記憶に残るものがあります。こんなふうに目的もなくちょっと遠くに行く、なんていうのはちょっと男子的ですね。シノとアリサの二人の行動哲学は、男気があって、やんちゃすぎますが、理想の男子小学生という感覚があります。一方で、女子的なものの象徴としてサヤカちゃんが登場するこの作品。とかく女子的なものは難しい、ということが語られる二十一世紀児童文学ですが、女子がこんなふうに男子化したりすることもアリかなと思ってしまいました。花形みつるさんは、90年代初頭に一般小説で子どもたちの現在像を書かれてデビューされた作家さんですが、その頃の作品も実に見事なのですよ(好きだったな)。