アグリーガール

Big Mouth & Ugly Girl.

出 版 社: 理論社 

著     者: ジョイス・キャロル・オーツ

翻 訳 者: 神戸万知

発 行 年: 2004年05月

アグリーガール 紹介と感想>

マットがビックマウスと学校で呼ばれているのは、大口を叩くからです。この十六歳の少年は豊かなユーモアがあり、調子に乗って、鋭い皮肉やジョークを飛ばすこともあります。学校新聞の編集を務め、自らも記事を書き、劇の脚本を創作もする、頭が切れて才能のある少年なのです。ただ、今回ばかりは、その口が災いを招いてしまいました。高校のカフェテリアで冗談混じりに、劇に自分の脚本が採用されなかったら、学校を爆破するなんて友だち相手に叩いた軽口が、一人歩きして、テロリストとして刑事に連行されることになるとは。マットはなんとかして、自分の無実を証明しようとしますが、そのためには周囲にいた友だちに証言をしてもらわなければなりません。しかし、友人たちは関わりを恐れてか、爆破予告犯とみなされて窮地に陥ったマットにすげなく接します。いったい誰が悪意いをもってマットを通報したのか。それさえわからないまま、孤立して、失意を抱いていくマット。そんな時、謹慎中のマットの元に、特に親しいわけでない同級生のアーシュラ・リグスからメールが届きます。アーシュラのことをマットは、超然としていて、周囲を気にせず、なにごとも動じないような存在感がある子だと思っていました。アーシュラはカフェテリアでの一部始終を側から見ており、マットのために証言をしてくれるというのです。アーシュラのおかげでマットの疑いは晴れるのですが、一度貼られたレッテルと偏見は消えず、マットとその家族は苦しめられることになります。ついにマットの両親は、悪意をもって通報を行った首謀者と学校相手に訴訟を起こしますが、そのことがよりマットの学校での立場を辛いものにしていきます。物語は、マットと、もうひとつ「アグリーガール」の視点から描かれることにより輻輳し、思春期の心の揺らぎのドラマを鮮やかに見せてくれます。ビターな世知辛さに、恋愛未満の得恋の甘さが、なんとも言えない風味を与えるY A作品です。

アグリーガールとは、アーシュラ・グリスが自らを鼓舞するために、自分に名付けたヒーローとしての呼称です。アーシュラは、その大きな身体に反比例して、小心で周囲の目ばかりを気にしています。友だちとは仲良く打ち解けられるタイプではないし、両親も妹ばかりを可愛がり、自分には関心を寄せようとはしていない。バスケットのスータープレイヤーであり、大企業のC E Oの娘であることで、学校では特別視されていますが、本人の心の中では、ちっぽけで可愛げのない自分に辟易しているのです。アグリーガールは、強くて超然として周囲のことを気にしない理想の自分です。しかし、バスケットの試合でのチームメイトとの行き違いから、孤独を深め、チームを辞めることを決意します。そんな折、学校爆破予告時間を耳にしたアーシュラは、自分がカフェテリアで見ていた事実が、ねじ曲がって伝わっていることに義憤を感じ、マットを助けたいと思います。良く知りはしないもののマットに好印象を持っていたアーシュラは、アグリーガールとしての正義を行使したのです。アーシュラのおかげで、一旦は、名誉回復して学校にも復帰したマットでしたが、周囲のよそよそしい態度や、その後の高額な賠償を求めた訴訟のことで反感を抱かれて、学校での立場を失い、孤独を深めていきます。そんなマットに声をかけることもできないまま、見つめているアーシュラ。そんな二人の心がやがて触れ合い、互いの複雑な心の裡を知り、友情を育てていきます。誤解やすれ違い、募った思いで書いたメールを、出せないまま削除したりと、思春期のもどかしさが一杯詰まっています。二人はどう歩み寄り、互いを支える存在となっていくのか、是非、見守っていて欲しい物語です。

この物語を刊行当時に読んでから、十年以上の時間が経っています。今回の再読では、随分と印象も変わりました。物語の中で、マットの両親が民事訴訟を実行しますが、僕自身も訴訟を起こすことになるとは、以前に読んだ時には思ってもみなかったことで、現実的に体験してみると、また違った思いを抱くようになりました。訴訟を起こす、というのは、ことを荒立てるものであり、できればやりたくないことです。少なからず、訴えた側である自分も傷つくものなのですが、それでも、訴えざるを得なかった苦衷があるのです。裁判のプロセスの中で、人が関わり合いを恐れて、証人になってくれない、ということも経験しました。物語の中で、マットは、これまで友人と思っていた周囲の人たちのよそよそしい態度に失意を抱きますが、これは非常に理解できるところです。一方で自分もまた保守的な気持ちはあり、面倒なことには関わりあいを避けたいと思うのです。だからこそ、アグリーガールとなったアーシュラの勇気に敬意を抱くのです。マット自身もこれまでに、それほど誠意を持って友人たちに接してきたのかと思います。思春期の身勝手さはあり、被害者意識が尖っていくことは否めません。マットとアーシュラは互いを思い遣る、ことで成長し、周囲に対する意識も少しづつ変わっていきます。現実は殺伐としていて、訴訟を起こすほどの歪み合いは、どんな結果であれ、禍根を残すだけで終わります。世の中は不毛ですが、それでもどこかに友愛が生まれ育ち、美しく輝くことに期待したいものだと思います。ちなみに本書は、サスペンス的な展開や、勧善懲悪なベタさ、マットとアグリーガールの思惑が交錯する構成など、面白く読ませる要素に満ちています。この当時、理論社の翻訳Y Aは魅力的な作品がどんどん出版されている頃で、児童文学を牽引していた印象もあります。つい、その後の理論社さんの変遷なども踏まえ、未来から過去を見る視座になってしまいがちなので、やっぱり、ファーストインプレッションでレビューは書くべきかと思うところです。いつ読んでも良いものは良いのだけれど。