オラレ!タコス・クィーン

Stef Soto,taco queen.

出 版 社: 文研出版

著     者: ジェニファー・トーレス

翻 訳 者: おおつかのりこ

発 行 年: 2024年06月

オラレ!タコス・クィーン 紹介と感想>

待ち人はたいてい来ない、というのが、現実では当たり前のことだけれど、物語の予定調和としては、来るものだと思い込んでいるところがあります。夢は叶わないし、希望は却下されるし、というありていな現実を踏まえて、物語の世界に求めるものは、なんだかんだで上手くいく甘さです。一方で苦さもまた物語の味わいです。読者もまた多くの苦さを飲みこんできた上で、その先に兆すものがあることを知っています。『グリマー・クリークの奇跡』(ステイシー・ハックニー)では、主人公の少女がまだ一度も会ったことのない有名俳優の父親に会える期待を全編で募らせつつ、最後までその希望は叶いません。奇跡が起きるはずの町で、この失意を受け止めた上で、人生を調和させていくあたりに味わいがある物語でした。本書もまた待ち人はきません。物語の逆転大ホームランが出るのかと思いきや、果たされず、実はコツコツと安打で積みあがっていたものに気づかされるという構図です。安打どころかデッドボールで進塁していたぐらいささやかさで、でもそのラッキーは稀有で大切なものなのです。アメリカに住むメキシコ系一家の物語が、移民である一世の両親に育てられた二世の娘の視線から語られていきます。多くの移民系アメリカ人の物語と同じように、アイデンティティの相剋があり、主人公は自分らしさに向き合うことになりますが、コンプレックスを越えて大いに胸をはれる自分に彼女が出会えるまでを見届けられる、愛おしい物語です。奇跡はないけれど、愛されて育った幸運と、それを享受できる心映えが爽やかに映し出されます。

「ベルラおばさん」は、ステフのパパが営むキッチンカーの愛称です。パパはベルラおばさんで、タコスの販売をして家族を養っています。小さな頃は、ベルラおばさんが自慢だったステフも十三歳となると、やや複雑な気持ちを抱いてしまっています。友だちの手前、パパが学校にベルラおばさんで迎えにきてくれるのが恥ずかしいのです。実際、同じ学校の嫌味な女子、ジュリアからは「タコス・クィーン」と呼ばれて、ステフは傷ついています。その反動は、両親に抱く気持ちにも作用します。両親はなにかと厳しすぎるのです。この町に公演にくる有名歌手のヴィヴィアナ・ヴェガのコンサートチケットを友人のアマンダが手に入れたというのに断固として行ってはいけないという。ステフは自分が両親から信頼されていないのだと悔しい思いを抱きます。コンサートには行けなかったものの、意外な場所でヴィヴィアナ/ヴェガと遭遇したステフは、一躍、学校で人気者になります。ところが、ステフが所属する美術部の資金集めのダンスパーティーに、ヴィヴィアナ・ヴェガを呼んで欲しいと頼まれて、困惑します。果たして、ヴェガはステフの頼みを聞いてくれるのか。一方、市の条例が厳しくなり、キッチンカーの営業が制限されそうになる自体が持ち上がります。ベルラおばさんを手放そうと考えはじめたパパを前に、ステフはどう思い、行動したか。メキシコ移民の両親が娘に過保護にならざるをえない事情や、その想いをステフはどう受け止めたか。上手くいくことばかりではないけれど、バイタリティ溢れるステフが、両親に愛されている自覚に目覚め、前に進んでいく姿が爽やかな好編です。

アメリカのサスペンス風ギャグアニメ『ディックトレーシー』に、ゴメス警部という、とにかく明るい陽気なメキシカンが主役で活躍するシーズンがありました(これシーズンごとにメインで活躍する刑事が違っていて、日系人、メキシカン、そして犬!、というバラエティがありながら、決して多様性を描こうとしたわけではない設定が1960年代製作を感じさせるものです)。ソンブレロを被って、挨拶は「アディオス!」のこの男性のイメージが、子ども心にメキシカンとして刷り込まれていますが(それと男子的にはプロレスですね)、やはりメキシコには食文化への関心が高いかも知れません。『国境まで10マイル』のようなメキシコ系の子どもたちの物語もありましたが、近年の『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』では、あまり品性が良くないものとしてメキシコ系文化圏を感じている(そのために周囲から浮いている)少年の物語でした。また食文化には触れられていなかったことも逆に印象的でした。色々な物語からメキシコ系移民のアメリカでの立ち位置の変遷を感じさせられるところです。そういった意味で本書は、何分にも「タコス・クィーン」であり、その典型性を揶揄されるのは、日系人だと「スシ王子」みたいなもので、複雑な気持ちにならざるを得ないわけです(「バーガーキング」というニックネームだってほめてないですよね)。父親の商売であるメキシカンファストフードのキッチンカーに対する、思春期の娘の愛憎は大いに察するところです。移民として米国で苦労を重ねてきた両親の想いや、そのアイデンティティを、娘もまた自分の経験を通じて感じとっていく。そこにはやはり、大逆転ホームランよりも、日々の家族の営みこそが大切なのだという慈愛を感じます。あまり関係ない話ですが、自分はタコライスが好きです。食文化が混淆した好例だと思っています。移民政策は難しいものですが、万事、こんな感じだと良いですよね。