スウィートホーム

わたしのおうち

出 版 社: 講談社

著     者: 花里真希

発 行 年: 2021年06月

スウィートホーム  紹介と感想>

作者の前作『あおいの世界』は、小学六年生の女の子、あおいが、父親の転勤先であるカナダに移り住むことになり、そこでの体験が、彼女の固定概念を覆していく物語でした。とくに「普通」であるということへのこだわりが解体され、自分が普通ではないことに感じていた生きづらさが軽減され、与えられた気づきが彼女に成長を促していきます。本筋ではありませんが、あおいを学校でいじめるカナダ人のジャスティンという少年が印象的です。物語の終盤に、その名の通り、彼には正義感があるのだということがわかり、その意外さに主人公のあおいも驚くという一幕があります。とはいえ、人として見直すというわけでもないのです。良い人でも悪い人でもない。けれど、平気で人を傷つける。自分のいじめは棚に上げられるのは、おそらく邪気や悪気がないからでしょう。こうした、わけのわからない人を、どう捉えたらいいのかと思います。そんな異彩を放つキャラクターが記憶に留まっているのですが、なんだかよくわからない存在は人を不安にさせますね。作者は、こうした要素を児童文学にぶち込んでくる奇才です。本書は、さらに困った人が登場します。ただの同級生だったら、関わらなければ良いだけの話ですが、肉親となると話は別です。肉親の困ったところは、関わりが切れないこと以上に、自分自身がその多くを受け継いでいることです。つまり、似ているのです。自分の中にある困った点を、写し絵のように見せられながら思うのは、自分はそうはならないという誓いです。どこかおかしいと思いながらも、その正体がハッキリとしないこと、が描かれます。やがて、焦点が結ばれ、問題の核心にピントが合い始めます。仮想敵が見え始めてからの怒涛の展開に注目です。 “

中学一年生になったばかりの千紗(ちさ)の家は片付いていません。玄関にはポリ袋に入ったゴミでいっぱいだし、廊下は邪魔な家具が置かれて歩きにくいし、積まれた雑誌や新聞が崩れてくるのです。ごちゃごちゃと物が置かれ、あふれている。お母さんは、家を片付けることができないのです。こんな家では家事の手伝いをすることも、ままならないと千紗は思っています。テレビのリモコンがやたらと行方不明になるのは、部屋がごちゃごちゃだからだけではなく、お父さんが、なんでもすぐに放り投げてしまうからです。中学校の体育の先生であるお父さんは、機嫌が悪いことが多く、独善的で、頭ごなしに注意をします。口ごたえすれば、怒鳴ることも叩くこともあるお父さんと、そんな父親に何も言ってくれないお母さん。千紗は、こんな自分の家に、深く失望しています。千紗は、入ったばかりの中学校でも難しい立場に追い込まれています。何故か、つい嫌味なものの言い方をしてしまう千紗は、同級生の反感を買ってしまい、距離を置かれてしまうのです。どうにも片付かない日々は続きます。千紗の転機は、不登校の小林君の代わりに美化委員会の活動に参加したことから訪れます。ちょっと気まずい関係になっていた、同学年の、あーにゃとそこで再会した千紗は、一緒に美化委員のポスターを描くため、彼女の家に行くことになります。あーにゃの片付いた家に、あらためて自分の家の惨状に気づく千紗。しかし、あーにゃに、不登校の小林君のお母さんがハウスクリーニング業を営んでいることを教えられ、可能性を見いだします。カウンセラーの資格も持っているという、小林君のお母さんのアドバイスで、お母さんの「片付けられない」心も整理されていきます。果たして「美しい場所には、美しい心が宿る」のか。美化委員のポスター標語のように、スッキリと物事が片付くには、もう少し、状況を整理する必要があるようです。

もうひとつの転機は、千紗が熱を出して学校を休んだ日、たまたま点けたテレビが「モラハラ」をテーマにした報道番組だったことです。千紗は、この未知の概念に衝撃を受けます。千紗は、言葉の暴力で人を支配していく「モラハラ」が、両親の関係に当てはまることに驚きます。怒鳴る父親と自分が悪いのだと思い込まされてしまっている母親。それは精神的に支配する洗脳なのです。千紗はこの情報を母親と共有し、自分たちが置かれている状況を冷静に捉えていきます。そして、どうやって「モラハラ」に対処すれば良いのかを考えていくのです。自分が悪いことをしているという気のないモラハラ加害者に、自覚を促すにはどうしたらいいのか。悪気がない父親を相手に、母娘は抵抗を試みます。こうして、母親の心が整理され、父親と渡り合うと同時に、さらに深層を穿っていくのは、千紗自身が、自分もまた学校で周囲を不愉快にさせている自覚があることです。みんなと一緒に笑いたいのに、何故かみんなを嫌な気持ちにさせてしまうことに千紗は気づいています。ここで千紗が、自分がそうした態度をとったら注意してくれるように友だちに頼むあたりも、父親のようにならないという覚悟の表れです。重くなりがちなテーマですが、ウィットに富んでいて、不登校の小林君との会話の面白さや、その後の展開の巧みさ、落ち込みながら、嫌になりながらも、その自省の先の未来に希望を見出していく千紗のバイタリティにも元気をもらえる物語です。ところで、良いものでも悪いものでもなく、気まぐれに人を翻弄する存在、といえば、野良の妖精です。モラハラ父さん妖精説は腑に落ちませんが、モラハラ憎んで父親憎まず、なのか。まあ、このあたりは多くの論点があるところです。