ディア・ファーザー

風の中の父へ

出 版 社: PHP研究所

著     者: 八束澄子

発 行 年: 1994年07月

ディア・ファーザー  紹介と感想 >
出張先のホテルで心筋梗塞で倒れ、そのまま死んでしまった恭子の父。まだ四十歳。大きな会社で工場長を任され、いくつもの工場の経営を立て直してきた手腕を買われていた人材です。ただ、その業績を支えていたのは、無理を重ね続けた本人の不断の努力によるものでした。平日は夜中近くにならなければ家に帰ってこないため、家族と顔を合わせることもない毎日。中学三年生の恭子にとって、めったに話をすることのない父は、次第に遠く、日曜日に家にいても、うっとおしい存在になっていました。仕事のストレスからか家でもイライラするようになっていた父と、ちょっとした言い争いから口を利かなくなっていた恭子。自分のわがままで言ってしまったことを、詫びることもできないまま、父は帰らない人となり、今、大いに悔やんでいます。父が亡くなる前から働きに出ていた母は、これまでよりも子どもたちにきちんと料理を作ろうとしたり、家のことを疎かにしないようにと懸命に努力を続けて無理が積み重なり、駅で倒れてしまいます。父親のことを無邪気に大好きだった恭子の妹の陽子は心のバランスを崩してしまったのか、過食するようになっています。父親という支えがなくなってしまったことで、家族は心細さを感じていました。三人で外食することさえ、どこか、不安になってしまうのです。恭子は受験を前にして、家の経済状態のことも気になっていました。失われたことで、あらためて意識された父親の存在。これは、恭子が自分の父親を再発見する物語です。そこには仕事によって疎外され、家族と引き離されている大人たちの姿もまた描き出されています。

恭子は父が書き残していた業務日誌を父の同僚から託されます。そこには父が会社でどんな働き方をしていたのかが記されていました。家族のことをほったらかしだと思っていた恭子は、父が家族の記念日をちゃんと覚えていながらも、仕事が入り、予定が塗りつぶされ帰ることができなかった苦衷を知ります。家族に対する思いを父がどれほど抱いていたのか。学生時代から父とつきあっていたという母から、恭子は当時の優しかった父のエピソードを聞きます。父は本質的には変わっていないし、ずっと優しい人であったということも、父から母への手紙で知ることになります。恭子が生まれた時でさえ、二週間の出張で一緒にいることができなかった父。ただ、母へ贈られたメッセージは家族への愛に満ちたものでした。恭子は父が亡くなった今でも、自分たち家族が見守られていることを感じるようになります。やがて、この家族は、父親の病死が、働かされ過ぎから生じた「過労死」だとして労災認定を求めることに踏み切ります。それは、現代社会の中で自分を損なってまで働き続ける労働者たちのために問題を提起することで、父の死を生かそうとする家族の願いでもありました。ホワイトカラーの過労死、という問題は、少なからず世間の注目を集め、やがて多くの人たちが、この問題を一緒に考えようと集まってきてくれます。「過労死」という、児童文学としては、異色の題材を扱っている作品ですが、家族の愛情の物語としてこの難しいテーマが昇華されています。また、父親を失った恭子は、そうした子としての意識の制約下で生活せざるを得なくなるのですが、やはり自由に生きたいと思う気持ちが正直に描かれていることも注目すべき点です。アンバランスな心で、不自由に生きなくてはならない時が人間にはあります。そして、この物語の父親も、仕事や会社を思う気持ちと、家族を思う気持ちに揺れていたはずなのです。正しさだけでは計れない、ままならないことが世の中にはあるということも、感じさせる作品です。

「仕事人間」が会社でどんな仕事をしているかなんて、家族にはあずかり知らぬところかと思います。ごく普通の人が「仕事人間」になってしまうのは、それなりに理由があります。それは、家族の生活を支えるために懸命に働いているから、ということだけではありません。これは、おそらく底なし沼にズルズルとはまっていっている精神的な拘束状態です。ブラックな状況下で会社に強制されているケースもあるかとは思いますが、「仕事人間」のいけないところは、自分ではなければこの仕事はできないというプライドや、自分が降りるわけにはいかないという責任感で自分の首を絞めているのです。そして、困ったことに、そこに達成感や充足感があるために、このループから抜け出すことができなくなっている心の闇があります。つまり、イヤイヤやらされているだけではない、というところがポイントです。自分も数年間、毎日、午前近くに帰宅する日々を続けていて、そうした業務のターンが終わったら、逆にメンタルダウンしてしまいました。要は忙しい仕事に、不安定な自分を支えてもらっていたというオチです。「会社の仕事」というものは、自分でなければできない仕事をいかになくすかという平準化がひとつのテーマです。それができなくて、なんでも自分でやってしまい、普通の家庭生活が送れなくなる。無理をしてでも仕事を頑張っていることが良いこと、という価値観が刷り込まれているのが「仕事人間」の不幸なのだろうなと思います。実はスイッチはいつでも自分で切り替えられたはずなのです。自分の替えなんていくらでもいるし、自分がいなくなったら仕事が回らなくなる、なんていうのは幻想です。この物語のお父さんは典型的な「仕事人間」であり、同じ会社員としては、そこに心の弱さを見てしまうのですが、家族からの視線は随分と違います。そこがこの物語の素敵なところであり、愛に溢れたものであると思うのです。八束澄子さんの作品は、大人が誇りをもって仕事をしている姿がいつも描かれています。一方で仕事に疎外されていく人間の姿も同時に描きだしていきます。働くことと生きること。その両輪を人間が健全に維持していくことの大切さを児童文学の中に取り込み、働く大人と、大人を見つめる子どもの視線のうちに描き、人間として幸福を追求する姿勢が貫かれているのが八束作品の素晴らしさだと思っています。人間として何が大切なのか。子どもよりも大人が見失いがちなことなのだと痛感させられる物語です。