ピーター・パン

Peter and Wendy.

出 版 社: 講談社

著     者: J.M.バリ

翻 訳 者: 高杉一郎

発 行 年: 1984年11月

ピーター・パン  紹介と感想>

「永遠の少年」と言えば、ピーター・パンですが、「少年性」というものについて考える時、僕はむしろフック船長のことを思いだします。この物語に登場する著名な海賊、フック船長は、欲深く腹黒い人物のように思われがちですが、どうもそれはアニメ化されたものや、子ども向けにリライトされた作品の巧罪ではないかと思うのです。心優しい正義の少年と、悪どい大人の対決というのは、あまりにも簡単にダイジェストされてしまった、わかりやすい図式のような気がします。実際、バリイの原作では、フック船長にはもう少し含みのある人物造形がなされていて、なかなか魅力的な「少年性」を持った人物となっています。無論、フック船長は、現象面ではピーターに毒を盛ったり、ウェンディを誘拐したりと、いたって海賊的に振舞いますが、その裏側にある心性には、かなり惹かれてしまうところがあります。例えば、彼の「孤独」について。海賊の頭目として、沢山の子分たちに囲まれながらも、フック船長の孤独は癒されることがなく、それを深めていくのは、彼があまりにも海賊らしからぬ考えを持っているからなのです。粗野な海賊の子分たちとは違いすぎる出自。自然と身についているその高貴さ。どうして「海賊」という特殊な職業を選ぶことになったのかわかりませんが、実は、フック船長はイギリスの伝統ある名門校に通っていました(しかも名家の出身のようです)。そして海賊となった今でも、「学校的な美徳」の呪縛から逃れることができないのです。「行儀(エチケット・礼儀作法)」というものを、彼はまず第一に考えます。それは名門校の出身者にふさわしい紳士としてのたしなみです。随分と堕落してしまったものの、心の底では「行儀よくあらねばならない」という不文律を信奉しており、それが海賊となった今も彼を苦しめています。果たして自分は「行儀」にかなう人間なのか。海賊としての名声も、こうした学校的価値観の前には脆くも崩れ去り、ちっぽけな自分自身に冷や汗を流し続けているのです。

真面目な人ほど精神的ストレスを溜め込みやすいものですが、フック船長はこうした自分自身の存在の問題を考え込むあまり、かなり危険な心の状態になってしまっています。行儀にかなわない自分という存在への疑問。彼は、いつか「自分が破滅する」ことを予感しています。もしかすると彼は、宿敵ピーター・パンを倒すことよりも、自らの悲劇的な死によって「運命と和解」することを欲していたではないか、などと想像してしまうのです。片腕をピーターに切り落とされた後に取り付けた鉤の義手こそを誇り、生身の片腕を見下すなど、屈折した気持ちのカゲリがある。とはいえ、そんな内面の不安定さと動揺をよそに、いたってスマートでクールにあり続けるのです。不安を隠して、どこまでも海賊を貫こうとするその姿。ピーターとの最終対決に敗れ、その断末魔に少年時代の記憶が彼の頭の中を駆け巡ります。子ども対大人の対立図式では、悪い大人代表のようなフック船長ですが、実は、子どもが抱きがちな「罪悪感」を象徴するような人物ではなかったのかと。いつまでも子ども時代の妄執から逃れられない人ではなかったのかと。子ども時代に解決できなかった心の問題を抱えたまま大人になってしまった人間の哀しい結末に、なんだか切なくなります。ほめられたいのにほめられなかったのだろうか。愛情もなく、ただ厳しく躾られて育ったのだろうか。そんなことを、つい考えてしまいます。海賊になってしまったことにもきっと複雑な理由があるのでしょうね。目の前のことよりも、なんだかいつも遠くを見つめているような人で、可哀相なんだけれども、ちょっと良いな、と思ってしまいました。

さて、自意識過剰なフック船長の対極にいる無自覚な存在こそがピーター・パンです。彼も原作ではかなり甚だしいキャラクターで、子ども的な気まぐれとデタラメで行動しています。分別ゼロ。基本的に無茶苦茶です。彼を取り巻く二人の女性(ウェンディとティンカーベル)が熾烈な嫉妬合戦を繰り広げているのにも全然気がつかない。そもそも彼にとって「女性」という存在は「お母さん」でしかないので、女性陣の気持ちとは、当然、すれ違います。どうだろう、こういう男って。いや永遠の少年は「男性」ではないものなのか。さらにいえば、心優しい正義の少年、というわけでもなく、ただのやんちゃな子どもなので、結構、冷淡で残酷なところもあったりします。フック船長は、ウェンディをちゃんとレディとして遇してエスコートするのですよ。僕は断然フック派です。子どもの頃にこの作品を読まれた方も沢山いらっしゃるかと思いますが、是非、再度、コンプレックスを抱えたクールな悪役(ヒール)の香気に触れていただきたいと願っております。大人として。