マスクと黒板

出 版 社: 講談社

著     者: 濱野京子

発 行 年: 2022年04月

マスクと黒板   紹介と感想>

この物語は、コロナ禍が始まった2020年の初夏から晩夏までという特別な時代を背景に描かれています。現在(2022年6月)もコロナ禍は継続していますが、非日常も大分、日常化して、当時のような先行きの見えない不安感は随分と軽減されたものと思います。あの時期の情況や雰囲気を、普通の生活者目線で捉えた本書には、そんなこともあったよね、というやや懐かしい感慨が沢山詰まっています。大人の一年はそう変わりばえのしないものですが、子どもたちにとっては、その学年一年一年に大きな違いがあります。戻ってこない大切な時間を、あたりまえに過ごせなかったことは、人生に大きな影響を与えられたはずです。本書は、当時のリアルタイムの子どもたちの心の動きを捉えた物語として、先の時代に振り返られる貴重な作品となるでしょう(児童文学がコロナ禍をどう描いたのかという観点でも)。新型コロナウィルスを撲滅したいという思いは一枚岩だったかも知れませんが、その自粛、緊縮モードについては賛否がありました。今となっても、あの対応が正解だったのかはよく分かりません。たしかに重症患者が増えて、病院が機能不全に陥り、入院できない人が亡くなるケースなどを見るに及んでは、感染者を増やさないための対策を多少神経質にでも行わなければならなかったと思います。そんな社会の動きの中で、中学生たちはどう感じ、何を考えたか。また、ここにある「個人差」も注目点です。自分は、もともと活動的なタイプではなく、実は自粛生活の方が性に合っているし、オマケで実現されたリモートワークなどによって、結果的に働き方改革がもたらされたと喜んでいるところもあります。マスク生活だって、それほど苦ではないし、人と対峙する上では気持ちも楽になりました。とはいえ、経済の活性化はもちろん、社会全体の閉塞感や、他の人たちの逼迫した気持ちには共感があります。本書の主人公のスタンスもまた、中学生としてはスタンダードなものではないかもしれません。人それぞれ、誰もがこの事態の中で、少なからず影響を受けただろう、そんなコロナ禍の中学生生活の物語です。

中学二年生の男子、立花輝(てる)。二年生に進級して二ヶ月以上が経ったものの、ずっとコロナの感染対策で休校していたために、登校再開したクラスにはまだ新学期のようなぎこちなさを感じていました。皆んながマスク登校をしてくる様子を伺いながら、もともとマスク常用だった輝は自分が目立たなくなったことに安堵しています。できれば目立ちたくないという性格の輝にとって、この状況は悪くはないのです。あまり友だちと付き合いたい方ではなく、同級生とディスタンスをとることもやぶさかではない。とはいえ、輝は人一倍、コロナ感染を恐れてもおり、やはりコロナ禍は好ましい状況ではありません。さて再開した学校で話題になっていたのは、誰が描いたかわからない黒板アートでした。昇降口に置かれた移動式黒板に描かれた見事な絵。そこには新一年生に向けた「コロナに負けるな」のメッセージも寄せられていました。美術部に所属している輝は、誰がその絵を描いたのかが気になりますが、憶測の域を出ません。物語はその絵についての生徒たちの思惑や態度を輝が眺め、考えを巡らせていくことで進行します。一方でコロナ禍の学校生活や社会状況が織り込まれていきます。いたって温度が低く、熱量のない輝が捉える、周囲の子どもたちの情動もまた際立ったものではありませんが、少なからず、輝に響いていきます。コロナへの怒り、そして自粛生活の抑圧や閉塞感。目立つことをできれば避けたい輝も、この状況に風穴を開けるべきだと思い、アクションを起こします。2020年のあの時間を生きた子どもたちの心の動きを捉え、そこに思春期の鬱屈や感受性のざわめきが掛け算された、コロナ児童文学の黎明期の作品です(いや、これが続いて、円熟期がくるのかどうかですね)。

トラウマや心因的なものがある訳ではありませんが、輝は、ともかく目立つことを避けようとしています。この物語には、生徒会役員を務めている幼馴染の蘭のように、自分の気持ちをはっきりと口にする行動的なタイプの子もまた登場します。人間に対する鋭い観察眼を持っている輝が、周囲の人たちを語ることで浮かび上がらせるのは、彼自身の鬱屈です。他人の才能を人一倍理解できるのに、自分には才能がない。その失意が、自分に対してなにかを望むことを抑えこんでいます。彼なりの葛藤が、熱のない態度の中から、次第に見えはじめます。自分自身の本心にたどり着くまでの長い道のりが、この特殊な状況下を背景に描かれていくユニークな一冊です。いやそれにしても、そんなこともあったなあというエピソードが満載です。今となっては、事実無根ではなかったかと思うような風評や流言飛語もありましたし、踊らされました。また、これまで表に出なかったことが、ちょっと社会のバランスが崩れたことで問題として表出したこともありました。この物語の中でも、父親のDVを受けている子が登場します。コロナ影響で在宅勤務が増え、父親が家にいることで家庭内の問題が噴出したとも言われています(児童文学も近年、DVやモラハラの父親を描く作品が増えています)。飲食店が一斉休業することで、ネットカフェに居住している人が数多く存在していることが明らかになったり、社会のバランスが少し崩れただけで、見えないようになっていた問題が顕在化しました。社会全体の話だけではなく、個人の心の中でも、コロナがきっかけで、思いもしなかった問題が表出して、自分の世界を揺るがされた方も多かったのではないか。それもまた、青春のヴァリエーションだろうと思います。自分もコロナ禍という特殊状況で、己の社交性のなさや内向きの志向性を改めて思い知りました。この経験をプラスに変えられれば良いのですが。