ルーシー変奏曲

The Lucy Variations.

出 版 社: 小学館

著     者: サラ・ザール

翻 訳 者: 西本かおる

発 行 年: 2014年02月

ルーシー変奏曲  紹介と感想>

家族の死の知らせを受けたにも関わらず、涙を堪えてステージを務め上げた、ということがプロ根性のように語られるのは、人間疎外もいいところです。その悲しみと向き合うことは、人間にとって、とても大切なことで、それを堪えることは美徳ではないし、ましてや強制されるものではないはずです。この物語の主人公である、若年ながらピアノ演奏会として活躍するルーシーが、プラハでのコンクールの直前に祖母の危篤を知らされ、出演を放棄したことは、当然のことであって、非難されるべきものではありません。もとより祖母の状況を隠していた母親や祖父の態度に問題があります。コンクールで結果を出すことが家族の至上の課題になっていること自体どうかしているのです。しかし、コンクールを放棄したルーシーに、家族の絶対的権力者である祖父は腹を立て、二度とピアノを弾くなと命令を下します。そこから半年。ピアニストとしての期待は、ルーシーと同様に既にその技量を評価されている弟のガス(ギュスタフ)にかけられていました。ピアノを失ったルーシーは、普通の16歳として学校生活を送り、友だちともつきあい始めます。物語はそんなルーシーが、祖父や母の価値観に抗い、ゼロベースから音楽の歓びを取り戻していく軌跡を描き出します。家族との情愛や得恋の慄きなど、ここには16歳の少女の等身大の感受性の揺らぎが繋ぎ止められています。深く深く考えていく。より豊かな生き方を自分で見出していく力強い物語です。

ルーシーの弟のガスを指導していた高齢のピアノ教師のテムニコワ先生が突然亡くなり、家族は新しい指導者を迎えることになります。ウィル・R・デヴィはピアニスト兼教師であり、テレビで音楽番組のパーソナリティも務めていた人物です。その指導方法は、気難しく技術にこだわるテムニコワ先生とは全く違い、音楽の豊かさを教えようとするものでした。ウィル先生に夢中になったのはガスだけではありません。ピアノを弾かなくなったルーシーもまた、ウィル先生が自分にかけてくれる言葉に、少しずつ心を動かされていたのです。コンクールで勝つことだけにこだわる祖父や母と違い、ルーシーを優しく包んでいてくれた祖母を亡くしてから理解者を失っていたルーシー。才能を評価し、再び、ピアノを弾かせようとするウィル先生の気持ちにルーシーは戸惑います。亡くした祖母への愛情や罪悪感、祖父への怒り、自分がこの後、どうしたらいいのかわからない混乱を抱えているルーシー。ウィルに自分の心にわだかまりを打ち明けることで、その気持ちを解いていきます。かつて「失敗は許されないのよ」という母親の脅迫めいた言葉に拘束され、勝つことを義務づけられていた自分。ウィルは、音楽を対する愛を聞く人に伝えることが大切なのだとルーシーに説きます。次第にルーシーは男性としてウィルに惹かれていきます。妻帯者であるウィルに恋愛感情を抱き始めていることを友人のレイナに警告され、仲違いすることになったりと、やや舞い上がり始めているルーシー。ウィルの薦めで、ついにチャリティーコンサートでの復帰を決意したルーシーでしたが、当日の会場で、ある企みに気づいてしまうのです。自分が何を求めているのか模索し続けたルーシーが、たどり着く場所まで、その心情に伴走する読書の愉悦がここにあります。

誰が本当の自分の理解者であり、無私の情愛を注いでくれるのか。そこを突き詰めて考えず、人に多くのものを求めすぎないことが賢明です。それを悟るのが、大人になる第一歩でしょう。それぞれに歪ではあるけれど、少なからず愛情があるし、思い遣る気持ちはある。一番に大切に思っているものが違うだけで、二番目か三番目には大切にされている。そんな愛され方もあります。とかいう戯言は蹴っ飛ばしておきたいところです。人の打算なんて許さないのが思春期です。真を穿つものを求めるのが若さです。ということで、人を迂闊に信じると傷つくことになります。ウィル先生の好意は、純粋にルーシーを思う利他的なだけのものではありません。これは不純なのではなく、win-winの関係を結ぼうとするのがビジネスでは常套なのです。これがルーシーにとっては失望を抱かさせるものになりました。ただ、一方で祖父や母もまた、家の名誉のために結果だけを求めているだけの人たちではないし、善意を持っています。畢竟、良いところもあれば、悪いところもある。人を多面的に受け入れることは難しいことです。若く真っ直ぐな感性は壁に当たります。ルーシーの純粋さはとても危うくて、心配になります。学校の先生ともアリス・マンローの話を通じて心を通わせつつあったので、どうもマズイ予感がしているのですが、やはり人に期待し過ぎないのが処世術かなと思ってしまうのも悲しいですね。