天才ルーシーの計算違い

THE MISCALCULATIONS OF LIGHTNING GIRL.

出 版 社: 講談社

著     者: ステイシー・マカナルティ

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2019年04月

天才ルーシーの計算違い   紹介と感想>

人より恵まれていることは、なるべく隠しておいた方が良い。そう考えてしまうのは、過去に嫌な思いをした経験があるからでしょうか。羨ましいと思われるぐらいならまだしも、反感を買い、反発されることも往々にしてあるものです。見せびらかしたわけでも、鼻にかけたわけでもないのに、そんな目に合うと、守りに入りたくなりますね。とはいえ、自分の優れた点や美点について人目につかないようにしておくことで得られるのは、自分自身への過小評価です。見下されたり、ナメられたりすれば、それはそれで腹立たしくなるもの。かといって、急に刀を抜いて人を傷つけてしまっては、結局、嫌になるのは自分自身です。自分が持っている優れたもので、人を幸せにすることができればベストですが、ここはバランス感覚が必要です。本書は、数学の天才であることを隠して、普通の中学校に通う女の子、ルーシーが主人公です。その特別な才能とゼロサムの関係にあるのが、彼女の強迫性障がいと潔癖症です。前者は隠せるものの、後者は隠しがたいため、ルーシーが抱かれる印象は、おかしな行動をとってばかりいる変な子です。上手く計算して、自分を普通の子に見せようとしていたルーシーですが、思い通りにいかずに苦戦します。彼女が直面する問題は数学のようには答えが出ない、割り切れないものばかりです。とはいえ、なんでも答えが出せることより、答えを出せないことの方が人間として魅力的だなんて、理屈に合わないのがこの世界です。だからこそ人生も物語も面白くなるのです。

八歳の時に、雷が落ちたフェンスに接触して感電したルーシー。瀕死の状態から生還した彼女には、驚くべき変化がもたらされました。脳が傷ついたことで後天性サヴァン症候群となり、数字に対する特別な感覚が芽生え、数学の天才になってしまったのです。それと同時に、なんでも数を数えなければいられず、一定の動作を複数回くり返さなくてはいられない強迫性障がいになってしまったこと。衛生観念が鋭くなり、潔癖症になったこともまた、彼女の属性になりました。それから四年。学校生活に馴染めず、引きこもりがちになって、ネットの数学サイトにしか友だちのいない十二歳のルーシーに、おばあちゃんは、高等教育を受けられる学校に進学する前に、普通の中学校に通うことを勧めます。数学の天才であることは見破られないようにできるのですが、立ったり座ったりを繰り返したり、朗読する時に文字数を数えなくてはいられない強迫性障がいと、ずっと拭き掃除を続ける潔癖症は人の目につき、ルーシーじハリネズミ変人として認識されます。ついたあだ名は「おそうじおばさん」。それでも、おしゃべりなウィンディという女の子と親しくなり、もう一人、リーヴァイというちょっと変わった男の子と一緒に、三人でチームを組み社会貢献プログラムという地域活動にも挑むことになります。三人が決めたテーマは「動物保護」。地元の保護センターの犬や猫たちにどうしたら里親を見つけられるのか。ルーシーは統計と分析力を駆使して努力しますが、バイキンだらけの動物はやはり苦手だと思っていました。それでもセンターにいる病気の犬、パイが、このまま引き取り手が現れなければ殺処分されてしまうことを知り、必死の努力をルーシーは続けます。数学の天才であるルーシーでも解決できない問題はそれだけではなく、ウィンディと仲違いしてしまったり、天才ということがバレて学校で爪弾きにされたりと、なかなか上手くいきません。勿論、起死回生の一手が物語をハッピーなエンドに導くのはお約束通りです。天才少女が等身大の十二歳として心を痛めながら、活路を見いだしていく楽しい物語です。

ルーシーはおばあちゃんと二人でアパートに暮らしており、たまにポールおじさんが訪ねてきますが、両親のことについて、ほとんど触れられません。物語の途中で、母親はルーシーが幼い頃、病気で亡くなったことと、父親はあらかじめ誰かわからないことに言及がありますが、特にこだわっている様子はないのです。読者としては、ずっと両親について触れられないことに、何か訳があるのかと勘繰ってしまうのですが、これもスタンダードを前提にしてしまう偏見でしょう。写真が趣味で、ちょっとズレた少年、リーヴァイは当初、ルーシーと対立しますが、やがて彼女の理解者になっていきます。リーヴァイも、二人のお母さんと暮らしている(おそらくはレズビアンなのかと思います)のですが、そのことも、とりたてて物語の進行に関わりがありません。学校での人との関わりの中で、色々な衝突があり、ルーシーは傷つけられたり、人を傷つけたことを後悔したりと思い悩みます。そうした繊細な感受性が際立つ作品ながら、普通ではない家族の形に、子どもたちが頓着しないのが良いところです。気にすることではないのです。今はさすがに使わないだろうと思いますが、片親家庭などを「欠損家庭」と呼ぶ教育用語があり、父子家庭で育った自分も複雑な気持ちのなったことがあります。ルーシーは自分の人生は完璧にバランスが取れているといいます。おばあちゃん+ポールおじさん+数学=幸せ。そんな等式で表わせる完璧なものなのだと。家族−両親=不幸、ではないのです。過剰があったり、不足があったり、凸凹があっても満たされている。それはルーシー自身のことでもあり、この世界がすべてそうなのかもしれない。そんな希望がここに描かれています。