虹色のパズル

出 版 社: 文研出版

著     者: 天川栄人

発 行 年: 2023年06月

虹色のパズル  紹介と感想>

LGBTQと発達障がいという、現代(2023年)の児童文学の二大テーマが結合した物語です。ここにグローバリズムなどが加わるとダイバーシティ的には無敵かと思いますが、テーマが勝ちすぎて、物語とのバランスが難しいだろうなと想像します。本書は「変わっている」と言われ、傷つけられている人たちに自助のスピリットが涵養される物語ですが、こうした作品が、同じ境遇にいる人たちを励ますだけでなく、巷間に理解を促進するものになれば良いなと思います。マズイのは、中途半端に広がった、この手に知識で色メガネで見られることです。主人公の中学二年生の少女は診断をくだされたわけではないようですが、自閉スペクトラム症の傾向を示しています。「強いこだわり」があったり、感覚が敏感すぎたり、人の感情を咄嗟に感じとることができません。いわゆる「空気が読めない」「変な子」で、それを自分でも認知しているために、なるべく自分の変わったところを人に気づかれないように学校生活を送っています。こうした傾向のある人について、かつての診断名「アスペルガー症候群」から「アスペルガー(アスペ)」が蔑称のように使われることもある現在です。これも中途半端な知識の流布の功罪です。「自閉症」が、緘黙や知的障がいと混同されていた時代を考えれば、随分と社会的認知度が上がってきている一方で、正しく理解されず、曲解されることで、当事者を傷つける社会が形成されています。一方で、LGBTQもごく普通に語られるようになったとはいえ、偏見が払拭されたかわけではなく、逆に保守層の反感を煽るような認知のされ方になってきている気がします。知識としては広がり、世の中に膾炙した上での第二のフェイズを迎えているのが現代(2023年)です。ここにおいて児童文学は何を物語の焦点とするのか。この社会段階だからこそ描かれるものに注目です。”

周囲から変な子に思われないために、琴子(ことこ)は努力を重ねています。小さな頃から、「みんなと一緒」ができない子。アイドルにもファッションにも興味がないし、誰が誰のことを好きだろうとどうでもいい。中学二年生になった今、なるべく周囲に合わせて受け答えしながら、なるべく変な子に思われないようにと、数学が好きで得意なことさえ隠しています。とりあえず「天然キャラ」のポジションで教室で居場所を確保できているものの、琴子の内心はおちつかず、安心できるのは、誰にも見られないようにルービックキューブを回している時だけでした。そんな琴子に、この夏休みの間、叔父さんの家に行っていてくれないかと母親に頼まれます。両親ともに仕事で忙しいからというけれど、どうも何か事情があるようです。そもそも母親の弟である叔父さんの存在を琴子は知りません。圭一郎叔父さんの家を訪ねた琴子は、その存在感に圧倒されます。メイクアップアーティストだという叔父さんは、夜、バーでアイリスと名乗り、派手な女装でパフォーマンスを演じるドラァググィーンだったのです。お店に連れていかれた琴子は、自分の知らない世界に大いに驚きます。ギラギラのドレスにハイヒール。極太のアイラインと巨大なつけまつげ。そんな姿でショーを見せる圭一郎叔父さんは、自分はゲイなのだと琴子に言います。叔父さんは琴子がルービックキューブが得意なことを隠していることを気にかけ、変な子だと思われたくない琴子の気持ちに、歩み寄っていきます。お店に集まっている「ふつう」じゃない人たち。自由に振る舞うそんな大人たちを前に、琴子は自分を省みて煩悶します。反感を持たれることや、嫌われることが怖くないのだろうか。やがて、琴子は自分の心の中に渦巻くものを叔父さんに聞いてもらい、自分らしく生きていくということを考えていくようになります。それは学校で本来の自分を隠し続けていた琴子が変わり始める第一歩となり、科学部への入部にも踏み出していくことになるのですが、ここにもまだ壁があります。この社会はまだ一部のリベラルな人たちを除いては、偏狭であることがデフォルトだからです。さて、琴子はどうふるまっていくべきでしょうか。

元凶は圭一郎叔父さんの両親でもある、富山に住む琴子の祖父母です。祖母は、琴子がふつうの子ではないことを恥ずかしいと言い、「アスペルガー」の検査を受けさせろと母親に言います。そのことはより琴子の気持ちを追い詰めています。人間生きてるだけで十分なのよ、と琴子を励ます叔父さんもまた保守的な考えを持つ祖父母から、普通であることを強いられ、大いに傷つけられて育った子だったのです。どんなに話をしても理解してもらえない価値観の壁があります。祖父が亡くなり、叔父さんとともに葬儀に参列した琴子は、普通の男性のように振る舞う叔父さんに、そんな風に叔父さんの自由を奪う人たちに激しい怒りをぶつけます。この物語、伝統的なジェンダー観を良識としている人たちが、リベラルな人たちのカウンターとして登場します。たやすく人を傷つけるけれど、悪意はない人たちです。中学校の科学部の先輩たちが男子仲間の軽口で、つい女子を侮ってしまうのも、同級生の女子たちがダサい男子を切って捨てるのも、それほどの悪意はありません。琴子の両親もまた、ごく普通の価値観で励ましてくれますが、それが琴子を追いつめていることに気づきません。自分の良識で簡単に人を傷つける「世間」に、どう対峙すれば良いのか。それは、押しつけられた普通を装うことではなく、人としての愛のある生き方を知ってもらうことかも知れません。これは一筋縄でいかないし、「断絶と修復」を繰り返すだろうという予見を琴子も抱きます。それでも「世間」と隔離するのではなく、融和する志向性がここにはあります。保守の煮凝りのような人たちに、彼らが「普通ではない」と思っていたことを全面肯定させることもまた乱暴です。ただ、その蔑視も暴力なのだとわかってもらう必要はありますね。まだまだ時間はかかるだろうと感じる現在(2023年)を、ここに繋ぎ止めておきます。児童文学でこんな作品が、と驚かれる方もいるかも知れませんが、このレーベル、文研じゅべにーるは、この作品の少し前にも、トランスジェンダーの男性が登場する『ファミリーマップ』を刊行しています。そもそも、文研じゅべにーるは多年にわたり手強いスピリットを持つ作品を世に送り出している伝説のレーベルなのです(『風はおまえをわすれない』や『きみは知らないほうがいい』などがお気に入りです)。どこかでフルラインナップで見られないかなと熱望しています。