飛ぶ教室

Das fliegende Klassenzimmer.

出 版 社: KADOKAWA

著     者: エーリヒ・ケストナー

翻 訳 者: 那須田淳 木本栄

発 行 年: 2012年09月

飛ぶ教室   紹介と感想>

何度も読んでいるのにちゃんと覚えていないもので、読み返すたびに驚きと感動があります。今回は新訳版で読んだので、また違った印象がありました。なんとなく「正義先生」と「禁煙さん」の再会が本書のクライマックスのような気がしていたのですが、物語の中盤の出来事でした。ギムナジウムに通う少年たちがクリスマス会で創作劇「飛ぶ教室」を演じるのも、まだ終盤ではありません。じゃあ実際のクライマックスはどこかというと、両親が貧しくて僅かな旅費も工面できず、帰省できないまま寮に留まっていたマーティンに、正義先生が切符代をくれるところです。「先生が特定の生徒にお金をあげる」という問題の解決方法が、現代の児童文学で選択されることはないだろうけれど、これが有効なのは、この物語がここまでに積み上げてきたものの説得力かと思います。冒頭に長い前書きがあって、作者が登場し、この物語の持つ心情的なフレームをあらかじめ語ってくれることが最後まで効いています。作者はあらかじめ、子どもが抱く悲しみや不幸せについて言及しています。主要な登場人物の一人であるジョニーが、父親に10ドル札だけを渡され船に乗せられて捨てられた前日談に触れて、生きることのきびしさは大人だけのものじゃないのだと訴えます。手放しに陽気な子どもの物語ではありません。子どもたちにはそれぞれ感じている哀しみや淋しさがあるけれど、友だちの前ではそれを見せまいと気丈にふるまっています。子どもたちが無自覚に友愛の気持ちを発揮するこの物語には、大人目線でそんな彼らを守ろうとする正義先生や禁煙さんや、なによりも作者の慈愛が感じられるのです。道義的にどうとかよりも、哀しみに沈んだ、目の前にいる一人の子どもを救うことに意義がある。そんな愛情を大人こそが持つべきなのだという願いに (そこにケストナー自身の過酷な作家生活もオーバーラップして)、そして子どもたちを励ましていく姿勢にやはり心を動かされます。

南ドイツのキルヒベルグという町にあるヨハン・ジギスムント・グムナジウム。この男子だけの寄宿舎学校を舞台にしたクリスマスの物語です。数日後に迫ったクリスマス祭で上演する劇の稽古をする五人の少年たちは、みんな八年生(中学二年生にあたります)。実直な優等生のマーティン、腕っぷしが強く、いつもお腹をすかせているマチアス、クールで皮肉屋なセバスチャン、劇では女の子の役を演じる、大人しく線が細いウール。そして、劇の作者でもあるジョニーは、前書きにも登場した子で、親に捨てられたさびしさを抱えながらも、強く生きている子です。この五人の仲間で劇を作っているものの、色々とトラブルが発生して中断が入ります。ギムナジウムと実業学校の学校同士のプライドをかけたケンカに巻き込まれたり、寄宿舎の先輩生徒に叱られたり、ハメをはずしているわけではないけれどルールを破ることになって、舎監の正義先生に諌められもします。正義先生は公平で正しく、生徒たちから尊敬されていますが、生徒たちとしては、正義先生は真面目すぎて、打ち明けられないこともあります。そんな時、相談に乗ってくれるのが、学校近くの貸し庭に古い車両(禁煙車)を引っ張ってきて住んでいる男性「禁煙さん」でした。居酒屋でピアノを弾いて暮らしている禁煙さんのことを、子どもたちはきっと今までにつらい目にあってきたのだろうと思っていました。正義先生がもっと自分に悩みを打ち明けて欲しいと過去の後悔について語った時、少年たちは、禁煙さんと正義先生がかつて親友同士だったことに気づきます。少年たちが二人の再会を取り持ってくれたことに正義先生は深い感謝を抱きながら、さらに深く生徒たちに愛情を注いでいきます。クリスマスの劇の開幕までにはまだ一波乱ありますが、少年たちが友愛と人を思いやる気持ちを育てていく姿や、そして意地を張り続けて人前では弱音を吐かない健気さを、正義先生や禁煙さんのような温かい視線で見守っていたくなる愛おしい物語です。

さて「飛ぶ教室」というタイトルは、少年たちがクリスマス祭で演じようとしている劇のタイトルです。これがまた凝ったものなのです。ジョニーが書いたこの五幕からなる芝居は、未来の学校がどう変わるのかを予測しています。先生が生徒たちを連れて飛行機に乗り世界の現場を見にいく「移動教室」だから「飛ぶ教室」。イタリアのヴェスヴィオ火山の下で古代ローマ帝国の滅亡についての授業を行なったり、エジプトのギザの大ピラミッドでラムセス二世のミイラと遭遇したり、北極では孤独に耐える白クマが歌いあげるミュージカルになったりと、幕が進むたびに驚きの展開を迎えます。そして最終章では、飛行機は天国に到着して、聖ペトロとともに「きよしこの夜」を大合唱する、いやがうえにも盛り上がる展開です。この戯曲がなかなかの詩文で構成されていて、ジョニーの才能を感じさせられます。この劇の上演前にはウリーが舞台に上がれなくなる怪我をして代役を立てざるを得なかったり、お母さんからきた手紙にマーティンがすっかり気落ちしてしまったりと、なかなかスムースに行かないのが、まあ見どころ盛りだくさんなところです。こうして次第に少年たちに思い入れが強くなってくるので、あとがきで偶然に街でジョニーと出くわした作者が、少年たちの二年後の消息を聞くあたりは、無事健在している彼らの姿に嬉しくなってくるし、後日譚好きな方にはたまらないところでしょう。子ども大人もどこか淋しさを抱えながら、それでも寄り添える友だちがいて、その友愛に支えられ強く生きていく姿は素敵なもので、この物語が普及の名作として今も読み継がれていることを、あらためて思い知るのです。といいつつ、すぐ忘れるので、再読も楽しみではあるのだけれど。