さよなら、スパイダーマン

My sister lives on the mantelpiece

出 版 社: 偕成社

著     者: アナベル・ピッチャー

翻 訳 者: 中野怜奈

発 行 年: 2017年11月


さよなら、スパイダーマン  紹介と感想 >
ロンドンで起きたイスラム過激派による大規模な爆弾テロから五年。死亡した六十二名の犠牲者のうち最年少だったのが、事件当時、十歳だったジェイミーの姉のローズです。その時、まだ五歳だったジェイミーはローズのことをあまり覚えていないため、今も悲しみを感じることはありません。ただ、そのことをきっかけに家族が壊れてしまったためにジェイミーは大きな影響を受けたのです。父さんは娘を失った心痛から酒浸りで働かなくなり、母さんはそんな父さんに愛想を尽かし別の男性の元へと行ってしまったのです。ジェイミーの心の支えは、母さんが誕生日に送ってくれたスパイダーマンのTシャツ。それを着ていれば、いつか母さんと会うことができる。かたくなにシャツを着替えないジェイミーは、新しく転校した学校でも浮き上がった存在となっています。いえ、もともと友だちもいない、ちょっと変わった子だったのです。でも、この学校にはジェイミーの味方になってくれる子がいました。いつも ビジャーブを被ったイスラム教徒の女の子スーニャ。個性的な彼女との関わりの中で、ジェイミーの世界は新たなステージを迎えようとしていました。

読んでいてジェイミーにどうにもイライラさせられました。複雑な環境で育った十歳の少年の情動が真っ直ぐなはずはないので、腑に落ちる部分ではあるのですが、なぜそこでそういうことを、というような、煮え切らないアクションに苛立ちを覚えていました。逆に言えば、リアリティのある心の迷走状態が活写されており、そこに共感を抱かされます。自分も十歳の頃、こうした心理状態に近かったので、あの抜群の不安定感を思い出していました。まあ、迷走状態なのです。ことあるごとに娘を奪ったイスラム教徒を毒づいている父親のもとで育った少年は、イスラム教徒の女の子を好きになったとしても、どういう態度をとればいいのかわかりません。好意を寄せ、時に助けてくれるスーニャに感謝しながら、ジェイミーが素直に接することができないのは、イスラム教徒を憎む父さんの気持ちを慮るバイアスがあるから。その屈折感。そして、母親に会いたくて、会いたくて、たまらない寂寥感。すべてを解決するためにジェイミーが選んだ突破口は、タレントショーのオーディションに出ることでした。わずかな成功の歓びと、さらなる失意がそこからもたらされるという、極めて救いが少ない作品ですが、それでも、先に進んでいこうとする人生がビターに描き出されていきます。

大人が心に負った痛手から立ち直れず、これからを生きていく子どもたちの心に配慮できていないという状態。大人は精一杯で、子どもの方が、むしろ親の気持ちを慮っている。子どもは大人に翻弄されたまま迷走を続けています。こうした作品では賢明な第三者の大人(とくに老人)が子どもたちにアドバイスを与えてくれることが良くあるのですが、そうした人物が登場しないことも新機軸です。子ども自身に解決策が委ねられ、子どもなりの結論が暫定的に出されて物語は終わる。これは、ちょっと大変だなと思います(日本の90年代以降のYA作品には良く見られる展開でしたが)。テロの犠牲者の家族を題材にした児童文学作品ということで、先入観を持って読み始めましたが、最終的に胸に抱いた感慨は、社会の理不尽に対する怒りではなく、自分ですべてを解決しなければならなくなった子どものいたわしさです。いずれにせよ、運命を乗り越えていかなくてはならない。児童文学を読み続けると辛いこともあります。