さよならのドライブ

A greyhound of a girl.

出 版 社: フレーベル館

著     者: ロディ・ドイル

翻 訳 者: こだまともこ

発 行 年: 2014年01月


さよならのドライブ  紹介と感想 >
この本の作者のロディ・ドイルは一般小説の作家として知られていて、90年代前半に複数冊刊行されていた翻訳作品を、当時、読んだ記憶があります。原色の表紙が印象に残っています。イギリスの労働者階級の普通の家族を描いたもので、少年を主人公にした作品もありましたが、児童文学との親和性はそう意識しなかったかな。パブにいりびたる中年男性がよく出てくる、という印象あるのですが、ちょっと下世話というか、あまりインテリジェンスがあるタイプの登場人物がいなかったような。そう感じたのは、人間の描き方が非常に生々しかったからではないか、と思い出しています。ひさしぶりにその名前を児童文学フィールドで見ることになり、懐かしく思いました。やはり、この作品でも人間をレアに、取り澄ましたところなく描いている、という印象です。それは、生きている人間についてだけでなく、すでに死んでいる人間についても。この物語は十二歳の少女メアリーが、幽霊と出会うところから始まります。そんな突飛な話なのですが、核心は決して奇抜ではなく、静かな感慨を与えてくれる物語です。

親友が引っ越してしまい、ひとりぼっちで寂しい思いをしていたメアリーに、学校から家に帰る坂道で声をかけてきたのは、昔風の服装で、昔風の話し方をする若い女性でした。病院に入院しているメアリーのおばあちゃんのことを知っているというその女性は「だいじょうぶよ」と、おばあちゃんに伝えて欲しいと言うのです。アナステイジアという古風な名前で、略称はタンジー。メアリーがママにその人の話をすると、それは、おばあちゃんがまだ小さな頃に病気で亡くなった、ひいおばあちゃんの名前だというのです。ママもまたタンジーに会い、確信します。この人は自分のおばあさんなのだと。あっけなく幽霊だと自己紹介するタンジーは、死んでもなお、心残りがあってこの世にとどまっていたのだと言います。あまりにも早く死んでしまって、母親らしいことが何もできなかったタンジー。今、病院でおばあちゃんは、こわがっています。眠ってしまうと自分が二度と目を開けないんじゃないかと思うほど、具合が良くなく、このまま死んでしまうかもしれない不安に苛まれています。自分の娘になにかしたいと思っていたタンジーは、娘を安心させてあげたいと思っていましたそんなタンジーを、おばあちゃんに会わせたいとメアリーとママは考えるのですが、何分にも幽霊です。果たして、ママの運転する車に乗ることができたタンジーと一緒に、おばあちゃんを病院から連れ出して、一晩のドライブが始まります。親子四代の女性が同乗した車が向かうのは、かつて、おばあちゃんが育った農場でした。さよならのドライブ。それは賑やかな旅であり、終わりゆく人生への万感がこめられた静謐な時間でもあったのです。

タンジー、その娘のエマー、その娘のスカーレット、そしてメアリー。それぞれの主観で語られる子ども時代のたわいのない心の動きがビビッドで、感じ入るところがあります。理屈めいたことも、教訓もなく、ただ四世代の女性が生きてきた、なんとない時間が綴られていきます。そして、今、四人が同じ車でドライブするという奇跡が起きているのですが、それが声高に語られることではないような気がするのです。エマーが三歳になる前に死んでしまったタンジーには、一緒に語るべき親子の思い出もあまりありません。それでもそのつながりは今もあって、スカーレットやメアリーにも続いています。文学的深さというよりは、情感が際立ったお話で、そもそもが荒唐無稽なのですが、なんだか不思議な感慨のある作品です。イラストがとても良くて、物語の魅力を何割増しかにしていますね。今、気づいたのですが、メアリーの名前はメアリー・オハラで、ママはスカーレットなのです。ということは、ママはスカーレット・オハラなのだと。女性が生きて行くということを考えさせられる作品なので、どこか掛かっているのかも知れません。農場は出てきますが、これはアイルランドのお話です。