昔はおれと同い年だった田中さんとの友情

出 版 社: 小峰書店

著     者: 椰月美智子

発 行 年: 2019年08月

昔はおれと同い年だった田中さんとの友情  紹介と感想>

少年たちとおじいさんの友情を描いた穏やかでやさしい物語ですが、どこか寂しさもあります。それは大人の時間と子どもの時間の速度が違っているからなんだろうと思います。ある一瞬を共生することはできても、ずっと並走することはできない。自分もまた十年くらい前のことなら「わりと最近」と思ってしまう中年モードですが、子どもにとっては「かなり昔」のことであって、未来を迎える速度にいたっては段違いなのでしょう。大人が子どもに置いてけぼりにされるのは当たり前で、そのことを大人はよく知っているけれど、子どもはそれに気づいていません。自分は忘れないと思いながら、すこし前のことなど、邪気もなく忘れていってしまうのが子どもです。だからこそ、老人と子どもの物語は、互いの人生の一瞬がたまたま重なった瞬間の輝きがあるのだと思います。少年が、どこか少年のままのスピリットを持った「かつての少年」と出会う物語に「ボーイ・ミーツ・オールドボーイ」というタグをつけています。その邂逅はずっと続くわけではなく、いつか回想の中で語られることになる。そんな切なさが裏腹にある物語です。とはいえ、ここにつなぎとめられているのは哀感だけではなく、少年たちの心を熱くさせた、かつての少年との大切な思い出であり、歓びの時です。今までの自分たちのキャラじゃないことを真面目にやってみたってかまわない。現代の少年たちが勇気を奮って、七十二年前に、現在の自分たちと同い年だった「少年」のために力を合わせていきます。そんな輝ける奇跡の時間を惜しむ、至福の読書時間を味わって欲しいと思います。なんでもない場面に泣きそうになったりして、自分ながらびっくりしました。電車だったしな。

ブレードボードを卒業してスケートボードに乗りはじめた三人の少年、拓人と宇太佳と忍。公園で乗ることを禁止されたスケートボードを練習する場所を探して、彼らは神社の境内に辿り着きます。そこで声をかけてきた神社の管理人の田中さんに叱られるのかと思いきや、田中さんはスケボーに興味を示してくるのです。とはいえ、八十代のご老人が乗るには危険な代物で、早速、転んで手首を骨折して救急車を呼ぶことになります。三人は親に叱られて、ひとりで神社の境内にある家に住んでいる田中さんの身の回りのお世話をすることになります。さて、この田中さん。非常に温和な人物で、少年たちの話をなんでも興味をもって聞いてくれるのです。「菩薩のような」田中さんのケアに少年たちは夢中になり、田中さんを喜ばせたくてたまらなくなっていく、もはや田中ブーム到来です。田中さんはいつからここにいるのか。少年たちは次第に田中さんの過去に興味を持つようになります。田中さんの少年時代は戦争の真っ最中。お父さんとお兄さんは出兵して戦死し、さらに三人と同い年の11歳の時、この地域に落とされた爆弾のためにお母さんと妹も失います。自分も足に大怪我を負って、天涯孤独となった田中さんを面倒を見てくれたのが、神社の隣にあったお寺の住職で、お寺の下働きをしながら成長した田中さんはやがて神社の管理人をするようになったというのです。田中さんの戦争体験を聞いた三人は、この話を田中さんの出身校でもある自分たちの小学校で講演してもらいたいと考えます。しかし、全校イベントとなったら自分たちの力だけでは実行できない。クラスでは目立つタイプではなく、しらけチームである三人が同級生たちの前で田中さんの話をし、協力を求めます。三人と田中さんの輝ける時間は、ここにクライマックスを迎えることになるのです。

ボーイ・ミーツ・オールドボーイ」「三人組」「戦争を考える」という三つのタグをこの物語につけましたが、四半世紀以上も前の1992年に書かれた、今や代表的児童文学である『夏の庭』も同様に、少年三人組が独りで暮らす老人と親しくなっていき、戦争体験の話を聞くという物語でした。少年たちの家庭環境にも難しいものがあったり、戦争体験も「学校で講演会を開いてもらう」なんて展開はありえないほどヘヴィだし、おじいさんはあっけなく死ぬし、とハードながらも真芯を射抜く力強い作品でした。単なる比較では、本作はずいぶんと優しいのです。たまさかの邂逅がもたらした喜びと、少年の心に浮かぶさまざまな機微と、老人が見せることのない穏やかな諦めのようなものが、ないまぜになったままここにあります。中学受験を断念して、どこか空虚になっていた拓人の心を、優しく温かく満たしてくれた田中さんとの友情には胸が熱くなるところがあり、一方で愛すべきは一抹の哀感や寂寥感であり、少年の短い夏と、老人の変わらない晩秋の狭間に生まれた、永遠に続かない暫定の物語であることにちょっとグッとくるのです。そんな文芸的な良さに満ちた作品だったかと思います。終戦を迎えた時、現代の少年と同い年だった、という人が生存されていることがこの物語のベースにあって、現代でなければ成立しないことも、今、描かれる物語としての必然性がありました。日本ではリアルな戦争体験を語れる人が少なくなってきており、今、ここに結ばれた物語としての意義もあったと思います。