夜のパパとユリアのひみつ

Julias hus och nattpappan.

出 版 社: 偕成社

著     者: マリア・グリーペ

翻 訳 者: 大久保貞子

発 行 年: 1983年01月

※復刊版は2004年復刊ドットコムより刊行

夜のパパとユリアのひみつ  紹介と感想>

看護婦のママが夜勤の間、ひとりぼっちになってしまう娘のユリアの面倒を見てもらうために(といっても留守番をするだけなのだけれど)雇われたのが「夜のパパ」。ママが仕事に出かけた後、ひっそりと静かな夜の時間に、パパはペットのフクロウとともにやってきて、ユリアの家で自分の研究をして帰る謎の青年。夜だけやってくるパパなんて、と友だちは誰も信じないけれど、「夜のパパ」は本当にいるんだ。パパの存在を証明するために、ユリアがパパとはじめた交替日記(交換日記ではなく。これは、お互いが書いた部分を見ないというルールになっています)が、前作『夜のパパ』です。秘密めいた雰囲気が漂う印象的な青年と少女の「夜の物語」でした。本編『夜のパパとユリアのひみつ』はその続編。今回の書き出しは、前作と代わって「夜のパパ」の先攻となります。 前作から二、三年が経過して、もうユリアも一人でお留守番ができる年頃になっています。「夜のパパ」のこともペーテル、と名前で呼んでいます。相変わらず、学校ではいじめられていますが、負けてもいませんし、ときには、先生に熱をあげる生徒のフリをしてみたり、女の子として、それなりのふるまい方ができるようになっています。そして、そろそろ、自分のなかの心の秘密を持ち始める年頃でもあります。「夜のパパ」も、ここにきて夜の留守番をする必然性はなくなってきているのですが、どうやらユリア母娘の家に異変がおきつつあるのを察知して、ひそかに行動を起こしています。

ユリアが少し大人になって、内省が深まったことと、そんなユリアの心のうちを「夜のパパ」が慮ることで、物語は進行し、両者の関係性の複雑さだけで言えば、前作よりも、ぐっと深まった作品に仕上がっています。父親が娘の「ひみつ」に立ち入っていくことには限界があるし、そもそも「夜のパパ」という疑似父親ですから、おのずとスタンスが難しいというもの。お互いをいぶかしく思ったり、あえて意地悪な態度をとってみたり、「パパ」と娘の領域からも、少しずつ離れつつある二人。それでもユリアにとって、心をゆるすことのできる唯一のパートナーであり、欠けがいのない存在であることは変わりなく、その友情をいとしく思えることは前作同様です。自分たちが過ごしたこの家を市の施策「たちのき取り壊し」から守るため、二人は力を合わせて戦います。ちょっと大人になったユリアと「夜のパパ」ペーテルの本編もまた、魅力のある世界を見せてくれます。

スウェーデンの児童文学といえば、古くは『ニルス』のセルマ・ラーゲルレーヴ、『ピッピ』のリンドグレーン、なんといっても素敵な、エルサ・ベスコフにウルフ・スタルク。リアルなマッツ・ボールなど、沢山の作家に魅せられて、国情は良くわからないものの、北欧への夢を馳せてしまったり、意外と現実的な作風の「万国共通」の感覚も含め、大変、興味深く思っています。そうしたスウェーデン人作家の一人、グリーペの『夜のパパ』シリーズは、母子家庭の現実的な話でありながら、何故か神秘的な雰囲気があって(まあ謎の青年である「夜のパパ」の魅力と、マリア・グリーペの夫君であるハラルド・グリーペの、あのエッチングのような挿絵の絶妙さでしょうか)、僕自身、数年前に古書店で見かけたときに買わなかったことを、あとあと後悔することになった本でした。そういうことで、このシリーズの復刊は嬉しかったな。ところで、とあるレビューを見ていたら、日本で 『夜のパパ』 を映画化するなら、パパ役は堺雅人さんが良い、と書かれている方がいました。僕も同感です。