強制終了、いつか再起動

出 版 社: 講談社

著     者: 吉野万理子

発 行 年: 2021年02月

強制終了、いつか再起動  紹介と感想>

これは中学三年生の少年が薬物依存に陥る物語です。かなりショッキングなテーマではあるものの、統計的にはままあることであって、荒唐無稽なお話ではありません。煙草やシンナーならいいというわけではありませんが、大麻や合成麻薬、覚醒剤とエスカレートすればするほど依存症は深刻で社会に戻ってこられなくなっていくものですし、違法行為として逮捕されることもあり、人生を「踏み外す」蓋然性は大きくなります。この物語は、ごく普通の少年が薬物依存に落ちてしまうプロセスを描くケーススタディだけではなく、むしろ、そこからの再出発に焦点が結ばれています。当人が社会復帰を諦めないことも大切ですが、周囲がどのように見守っていくかということも問われています。反省は促すべきですが、当人も相当、凹んでいるわけです。この物語を読んだ後に、ネットで薬物依存と戦っている人たちの手記を色々と読んでみました。薬物に手を出してしまったきっかけは色々ですが、その敷居が低い一方で、どんどん深い溝にはまっていく姿には恐怖を覚えました。こうした体験記を書いている方たちは、現在は、薬物を断ち切った生活をしているわけですが、あくまでも現時点で使用していないというだけで、再び、薬物に手を出すことも充分にありえます。その誘惑と生涯闘っていかなければならないのです。再起した人たちを世の中がどう支えていくかが重要です。しかもそれが中学生などの年少者であった場合、単に本人の意思だけの問題ではないはずです。一方で、特別視することは、一度薬物依存になった人を色眼鏡で見ることにもつながり、社会的な再起を阻むことになるのも難しいところですね。児童文学作品として描かれる問題作は、その問題に焦点を結ぶだけではなく、さまざまな心の動きと眼差しを活写し、人が本当に大切にすべきものを感じとらせます。ドキュメントやノンフィクションではなく、物語であることのダイナミズムは、薬物依存からの再起という難題に立ち向かう力を漲らせています。

父親の転勤の都合で新潟から東京に引っ越してきた中学三年生の隆秋。通っていた私立中学校の系列校に転校することができたものの、その学力レベルの違いに、追いつくのが精一杯の状態でした。身体も大きく、スポーツが得意そうな外見なのに、運動神経が鈍く、それを見透かされることにも神経を尖らせてしまう隆秋は、次第に周囲の目を意識して、追いつめられていきます。同級生とも打ち解けることはできず、自ずと自分に閉じこもるようになります。そんな折、隆秋の様子がおかしいことを気にかけた家庭教師の大学生である安岡に気晴らしに誘われます。安岡の家に遊びに行った際に隆秋が勧められたのが、大麻です。高校生の時から大麻を使用しているという安岡は、自分でコントロールできれば大丈夫だと隆秋を諭します。こうして隆秋は大麻を常習するようになっていきます。一方、学校でも隆秋に声を掛けてくる同級生がいました。動画サイトに自分のチャンネルを持っている男子、周伍は、隆秋の良い声を見込んで、ナレーターとして一緒に動画作りをしないかと誘います。新潟の学校の頃、放送部で活躍していた隆秋はこの誘いを喜び、自分でも企画案を出しながら動画を作ることに夢中になっていきます。もう一人、ちょっと取っつきずらい態度ながら、企画に協力してくれることになった女子、夕都希(ゆづき)を仲間に加えて動画作成の活動を続けていく隆秋でしたが、周伍と夕都希は隆秋のテンションが乱高下することに次第に疑問を持ち始めます。親戚に麻薬取締官(マトリ)がいるという夕都希は、隆秋が薬物を使用しているのではないかと疑いを口にします。隆秋に気づかれないように、聞き込みや、その行動を調査し始めた二人は、抜き打ちで隆秋を訪ねることで、薬物使用の真偽を確かめようとします。直前まで大麻を吸っていた隆秋は、突然の二人の訪問に驚きますが、これを取りつくろおうとして、思わぬ狂態を演じることになってしまいます。この展開に非常にびっくりしますが、いや、ここでバレて良かったのだと長い目で見ると思うはずです。人生のスケールの長い目で見ればです。

隆秋に大麻を勧めた家庭教師の安岡も悪気があったわけではなく、自分も高校生の時に酷く落ち込むことがあり、そこから大麻を使うことで立ち直った経験からの親切心だったというのがポイントです。使う人によって影響の個人差が大きく、隆秋は、自制できないままのめり込んでいくことになりますが、それは安岡も意図したことではなかったはずです。隆秋が親しくなった周伍もまた、動画作成仲間の繋がりで、有名ユーチューバーの集まりに誘われ、そこで合成麻薬を使用せざるを得なくなったところを、からくも逃げ出します。悪気なく、親切で勧められたり、ちょっとした好奇心から手を出してしまったがために、抜け出せなくなるのが薬物依存であり、そのしのび寄る恐怖が描かれます。物語の終わりに隆秋と周伍は、自分たちの経験から、中学生の薬物問題を啓発する動画を作りコンテストに応募することを決意します。ここに至るまでの隆秋の心の変遷も見どころです。隆秋は大麻の使用を警察にも咎められ、学校も辞めて、公立校に転校することにもなります。人生が「強制終了」させられたような失意を抱いた隆秋のために、夕都希が会わせてくれたのは、麻薬取締官の親戚、ではなく、かつて麻薬依存になり逮捕され、今は離婚して離れて暮らしている自分の母親でした。彼女の体験談もまた心を打つものがあります。物語の中でやや不自然に思えた夕都希の態度や心境の内実がここで見えてくるあたりの妙もあります。そして「再起動」の希望もまたここでつながります。非常に重いのは、薬物依存になった当人だけでなく、家族のやるせ無さです。やはり薬物に依存してしまうのは、心因的なものがあり、周囲にいた人間としては少なからず責任を感じるところがあるかも知れません。では、同級生が薬物依存となることに、どう眼差しを向け、見守るべきか。これがイレギュラーな想定ではない時代に突入しています。本人の意思の弱さや強さの問題だけではないのだと考えるべきですね。