風をつむぐ少年

Whirligig.

出 版 社: あすなろ書房 

著     者: ポール・フライシュマン

翻 訳 者: 片岡しのぶ

発 行 年: 1999年09月


風をつむぐ少年  紹介と感想 >
自分の不注意から人を傷つけてしまうこと。しかも、修復不可能な状態にしてしまうこと。人の将来をすべて塗りつぶしてしまうような、傷を負わせたことに対する後悔は、その原因が愚かしければ愚かしいほど、加害者の心を苛みます。被害者や、その家族の怒りは当然のこととして、加害者もまた、己の迂闊さに憤りを感じています。法的に刑事罰に問われないとしても、決して自分は「赦されない」という気持ちを抱えながら、「贖罪」を希求する。しかし、破壊してしまった他人の人生や、その将来がつくりだしたはずの「可能性」を、あがなう「贖罪の行為」など存在するのでしょうか。加害者の胸のつかえをおろすだけの自己満足ではなく、その「可能性」自体を被害者に代わって引き継ぐことを求められたら、加害者はどう応えるべきなのか・・・。本書『風をつむぐ少年』は、愚かな事故から、人を事故死させてしまった少年の「贖罪」の物語です。彼は被害者が持っていた「可能性」という「種」を受け取って広いアメリカ大陸を縦横に横断していきます。その「種」が芽を吹くことを、少年は知りようがありません。しかし、物語がこっそりと教えてくれた後日談では、いくつもの希望の芽が吹き、人の心に萌えていく光景を見ることができるのです。読者は俯瞰で眺めた世界に、思いもしなかった「赦し」を見るのです。

転校生のブレントは、転校先の学校の招かれもしないパーティーに出かけていきます。転校経験の多いブレントは、しょっぱなに、パーティーでうまく、格好をつけることが、新しい学校での巧い振るまい方だということを信じていたのです。ところが、そのパーティーでは、女の子には冷たくあしらわれ、すっかり笑いものになってしまったブレント。恥をかかされ、馬鹿にされた怒りで、目の前が見えなくなり、パーティー会場を飛び出します。飲酒の勢いもあってか、自殺してしまおうとさえ思ったブレント。車を飛ばして高速道路に入り、「苦しみを終わりに」できるよう、ハンドルから手を離します・・・。ブレントの目が覚めた時、彼は、自分がまだ生きていることと、自分の車が中央分離帯に追突し道を塞いだところに、後続車が激突し、その運転者が亡くなったことを知らされます。死んだのは十八歳の少女。リー・サモーラ。自分は軽度の脳震盪で済んだブレントでしたが「人を殺した・・・」という事実に愕然とします。保護観察処分になったブレントは、カウンセリングを受けるのみで、罰されることはありませんでした。しかし、それでは、ブレントの胸の痛みは治まらなかったのです。そんな時、自分が殺した少女の母親が、自分に会いたがっている、との一報を受けます。罪悪感から、自分をどんなふうにも罰して欲しい、と思いながら、会った彼女の母は、思わぬことをブレントに依頼します。『生きていれば、あの子は大勢の人を幸せにしたと思います』、娘のリーが子どもの頃、一番喜んだ玩具、風で廻る風車の腕をつけた人形に、リーの似顔絵を描いて、それをアメリカの四隅に立ててください。彼女が大勢の人に微笑みを贈る代わりにしたいのです。変わった頼みでしたが、無論、ブレントには、是非はありませんでした。

アメリカを縦断する旅の中で、ブレントは、木工の勉強をし、色々な人たちと出会い、本を読みます。そして、四体の、風で廻る人形を、工夫を凝らして作り、アメリカの四隅に立てていきます。人生において本当に、大切にすべきことはなんなのか。ブレントは、旅の中で多くのことに気づかされていきます。リーの存在が、ブレントに与えた波紋。ブレントが作った人形が、他の人々に与えた波紋。静かに伝わっていく、その連鎖。『人間の行為はさまざまな結果をもたらします。そのすべてを知る力は、人間にありません』、リー・サモーラの母親は、ブレントを責めるでもなく、そう言葉を与えました。教師の言葉が生徒の心の中で生き続けるように。誰かの微笑みの、その連鎖が、他の誰かに幸福をもたらすように。一人の人間の微笑みが、世界平和を作り出す可能性もある。だから、誰かの微笑みを奪ってしまったのなら、その意志を継ぎ、微笑みを世界に配ること、これもひとつの贖罪のあり方かも知れません。「赦しを乞う」には、命が持っていた可能性を考え、その存在が、他の人間たちを幸福にしたはずの将来を尊ぶこと。めぐりめぐる連鎖の中で、人は幸福を分かち合い、ともに生きているということを、教えてくれる、深い一冊です。私も、心さそわれる紹介文に背中を押されてこの作品を読み、この文章を書いています。もし、この僕の文章が、誰かの心に届いて、興味を持ってくださったなら、この連鎖は続いていくのです。不思議ですね。