エリザベス女王のお針子

裏切りの麗しきマント Tread softly.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ケイト・ペニントン

翻 訳 者: 柳井薫

発 行 年: 2011年08月

エリザベス女王のお針子  紹介と感想>

この本の原題は「Tread softly」。「そっと歩く」という意味だそうです。刺繍の美しさになぞらえて自分の愛を伝えるイエーツの詩の一節として知られる言い回しであり、この本の冒頭にも、その詩が引用されています。刺繍が凝らされた衣の上を歩く。そのイメージは本編でも印象的な場面として使われています。一方で邦題の『エリザベス女王のお針子 裏切りの麗しきマント』はやや大仰で、その『エリザベート 愛と死の輪舞(ロンド)』的なタイトルは、宮廷にうずまく愛憎のドラマを想起させるものとなっています。これが読者をミスリードするものかと言われるとそうでもなくて、本書の主要な登場人物であるウォルター・ローリーは、16世紀のイングランドの宮廷で、廷臣として策略を凝らしながら生き抜いた貴族ロマンを体現している実在の人物であり、そのサイドからは、このタイトルもイメージに合うところなのです。一方、この物語は、このローリーに振り回される十三歳のお針子、メアリーを主人公としています。彼女は、強欲な貴族たちとは対照的に、ただ落ち着ける場所で穏やかに好きな針仕事をしていたいという世俗的な欲のない子です。そんなメアリーが、エリザベス女王暗殺の陰謀に巻き込まれていくというサスペンス。エリザベス朝の風俗描写や時代背景、貴族の放蕩ぶりと庶民の慎ましい生活、そして、なによりも職人魂と、十三歳の少女の視座から捉えられる世界が興味深く、ぐいぐいと引き込まれてしまう魅力的な物語です。

1581年。イングランド南部デヴォン州にある領主館のお屋敷。腕の良い仕立て職人であるメアリーの父は、ここで職人頭として領主とその家族のために衣服を仕立てる仕事をしていました。十三歳のメアリーもまた、お針子として一緒に働いています。幼い頃に事故で母親を亡くして寂しい思いもしていますが、やはり仕立て職人である叔父や、厨房で働く陽気な従兄弟のハル、お針子仲間たちに囲まれて、楽しく暮らしていました。領主のシドニー卿は立派な人物で、職人たちを厚遇してくれるのですが、その夫人であるアン奥様や娘たちは、わがまま気まま、流行に後れないように着飾ることばかりに夢中で、お針子たちにも意地悪で横暴な態度をとります。さて、奥様と娘たちがエリザベス女王の宮廷訪問を間近に控えて、晴れの日に着るドレスを作るために、職人たちはその細かい注文に追われていました。そんなところに、シドニー卿のおいである、ウォルター・ローリーが現れます。冒険家で詩人でもあるローリーは軽佻不落な若者にして野心家。かつて、エリザベス女王の機嫌を損ねてしまったことがあり、再度、女王にとりいろうと、この宮廷訪問に同行したいと申し出てきたのです。そのためには、最新流行のマントを豪華な刺繍で凝らして、女王の目にとまりたいと考えて、職人頭のメアリーの父に、マントの作成を依頼します。職人たちはさらに忙しくなり、刺繍を得意とするメアリーにも出番が回ってきます。花や鳥、美しい自然を、刺繍で表現することができるメアリーには、特別な才能がありました。こうして、衣服づくりは着々と進むのですが、ある日、メアリーは父と一緒に、エリザベス女王を暗殺しようとたくらむ謎の一派の話し声を聞いてしまいます。その首謀者はお屋敷の執事であるトレヴァー。エリザベス女王に近づこうとするローリーを仲間に取り込んで、宿願を果たそうとする計画を立てているようです。秘密の会話を聞いてしまったことを気づかれた父は刺されてしまいますが、娘の身を案じて、けっしてこのことを口外するなと口止めして、この世を去ります。事件の真相を隠し、執事に怯える日々を過ごしながら、メアリーは、父に代わって、ローリーのマントの製作を引き継ぐことになります。ローリーが美しいマントをまとい女王に謁見して、その信を得られるようになれば、暗殺者たちに女王襲撃の機会を与えることにもなるのか。従弟のハルもトレヴァーの陰謀で屋敷から追い出されてしまい、孤立無援のまま、ローリーの指示に従わざるをえないメアリー。非力なお針子が、果たして、女王の危機を救うことができるのか。物語はエリザベス女王のおわす宮廷へと舞台を移します。

稀代の策謀家なのか、ただの親切な人なのか、ローリーはやたらとメアリーに目をかけて、厚遇してくれます。実際、暗殺者たちの仲間になったのかどうかさえもわからない。マントの作り手として、メアリーのことを女王に紹介しようと宮廷にも連れて行ってくれるのですが、その真意はどこにあるのか。完成したマントはメアリーの美しい刺繍に飾られて見事に仕上がっていました。このマントに秘かに自信を持っていたメアリー。ところが、次女王に近づくことのできたローリーが、その足元のぬかるみを避けるために、自らのマントで道を覆い、その上を女王に歩かせるという忠誠心を見せます。この行為には少なからず、メアリーもプライドを傷つけられます。それでも、メアリーの刺繍の技量は女王の目に留まっており、女王直属のお針子としてスカウトされることになるのです。とはいえ、メアリーにとってそれは喜ばしいことでもない。社会的地位を約束され、都会に住むことよりも、自然豊かな故郷で、存分に好きな刺繍に打ち込みたいというのがメアリーの願いなのです。美しい外見を持ちながらも、自分が綺麗な恰好をすることや、良い暮らしをすることには興味がなく、ただただ針仕事に打ち込んでいたいという職人魂を持つメアリー。要はちょっとした変わり者なのですが、その心根の美しさが光る主人公です。女王もまた、そんなメアリーと会話することに安らぎを覚えるようです。さて、物語はクライマックスを迎え、暗殺の魔の手が女王に忍びよろうとしています。都会暮らしに馴染めず、体調を崩したまま、メアリーはこの危機にどう立ち向かったのか。そして、ローリーは、女王を狙う暗殺者たちの仲間だったのか。物語に最後に付記された、ローリーとメアリーのその後の人生も対照的で面白いところです。華やかな衣装を身にまとう貴族たちの虚栄と、その衣装を作る職人たちの矜持。新大陸に乗り出していくことになる従弟のハルや、領主の家族のその後など、エリザベス朝を生きた人たちの、様々な人生模様を楽しめる物語です。