よるの美容院

出 版 社: 講談社

著     者: 市川朔久子

発 行 年: 2012年05月

よるの美容院  紹介と感想>

タイトル通り、とある美容院の、夜の時間が物語を彩っています。「よるの」とひらがなで書くのは、この美容院が「ひるま美容院」という名前であることにかかっています。物語の中で「パーマ屋さん」という表現も使われている、昭和がイメージされる町の小さな美容院が舞台なのですが、そんな古びた夜の美容院にあるサムシングにそそられます。と書きながらも、自分は一度も美容院に足を踏み入れたことがないのです。まったくもって縁遠い場所で、郷愁もないのですが、母親が美容師だったということもあって、多少、思いを馳せるところもあります(父との結婚前の話なので、美容師として働く母を見たことはないのです)。たまに閉店後の美容院でマネキンを相手にカットなどの練習をしている若い人たちの姿を窓越しに見かけると、自分の母親の修行時代を考えさせられるところがあり、左利きということもあって、苦労も多かっただろうななどと思うのです。さて、この物語はやはりそんな、閉店後の、よるの美容院で癒される子どものお話です。すばらしいシャンプー技術を持った美容師が、萎縮してしまった子どもの心を解いていくわけですが、心地良さの効用というものは確実にあるものだろうと思います。まあ、まずは、頑なになってしまった子どもの心の事情からです。主人公の、まゆ子は、どうして親元を離れて、ひるま美容院で暮らすことになったのか。ここには物語ではよく登場する「緘黙」(かんもく)という状態が題材となっています。ケレン味のない静かな作品です。第52回講談社児童文学新人賞受賞作。

十二歳の少女、まゆ子の声が出なくなってしまったのは、目の前で同級生の少年、タケルが車にはねられたからです。幼なじみで軽口をたたきあえる仲であるタケル。大きな怪我を負って入院してしまったタケルのいない教室で、まゆ子は次第に口を開かなくなり、やがて声を出して言葉を話すことができなくなります。両親は心配して世話を焼きますが、その配慮や周囲の人たちの気遣いは、逆に、まゆ子を追い詰めていきます。学校にも行けなくなった、まゆ子を預かってくれたのは、親族(であるらしい)の年配のおばさんでした。住居の一階にある店舗、ひるま美容院でナオコ先生と呼ばれている、このおばさんと二人で、まゆ子は暮らすことになったのです。学校には行かず、美容院で手伝いをする、まゆ子の楽しみは、よるの美容院で、ナオコ先生にシャンプーをしてもらうことでした。そのシャンプーの心地良さは、沈黙し続ける、まゆ子も思わず声を出してしまうほどなのです。ひるま美容院を手伝いにくるサワちゃんという美容師修行中の女の子も、その技量には感服しており、ナオコ先生は天使の手の持ち主だといいます。ナオコ先生は、まゆ子を鷹揚に見守っています。さりげない態度や緩やかな言葉と心地良いシャンプーに、まゆ子は癒されていきます。やがて、まゆ子は自分が声を出せなくなった理由に正面から向き合います。すぐには回復しない心のダメージを、まゆ子は少しずつ、よるの美容院で修復していくのです。

ひるま美容院に遊びにくるようになったサワちゃんの弟の颯太と親しくなった、まゆ子は、ふざけてばかりの颯太に怒った時にだけは、なぜか普通にしゃべることができる自分に驚きます。普段はメモ用紙に書いた言葉で人とコミュニケーションをとっているのに、どうしたわけか。ここに、まゆ子の意識、無意識の拘束状態が見てとれます。なぜ、まゆ子が声を出せなくなったか。その理由は明確ではありません。でもあのタケルの事故は、まゆ子の迂闊な一言がタケルの注意を鈍らせたから車を避けられなかったのではないかと、まゆ子は感じていました。その自責の念を持っているのに、誰にも打ち明けることはできず、一方で、声が出なくなったことで過度に気遣われてしまうことが重荷なのです。特に母親の過干渉が、まゆ子にとってプレッシャーになっていることが見てとれます。母親や事情を知る周囲から遠ざけられ、この、こでまり商店街の美容院で暮らすことは転地療養のようなものなのです。克己心をもって克服していくことではなく、癒されて、穏やかに回復していく、そのプロセスを静かに感じとらせる物語です。一方で、身体的の機能的な異常ではなく、ただ声が出せなくなってしまう、緘黙という状態が見せる子どもの心のアラートや、主人公を取り巻く状況や対処に、妙な違和感がある作品で、そこが魅力的でもあります。感想としては後付けですが、このデビュー作では判然としていないものの、後の市川朔久子さんの作品が描きだす痛烈なモラハラの棘を潜んでいながら、まだくすぶっている予感があるのです。これは結果的に癒しの物語ながら、子どももまた成り行きや、微妙なバランスで苦境に立たされ、追い詰められることもあるという、暗然とした恐ろしさも感じさせられます。優しい物語のようで、なんだか怖いのです。