こども電車

出 版 社: 金の星社

著     者: 岡田潤

発 行 年: 2010年12月

こども電車  紹介と感想>

午後九時前に就寝すると「こども電車」の夢を見ることができます。こども電車に乗れば、恐竜の国やムシの国、スポーツの国など好きなところに行って遊ぶことができるのです。これは子どもだけの特権で、大人になるともう、こども電車の夢を見ることはありません。そもそも九時前に就寝することもなくなるものでしょう。あくまでもそれは夢であって、目が覚めたら、ああ楽しい夢を見た、と思うぐらいのもの。また、こども電車のことを忘れてしまったり、現実で哀しい思いに胸が塞がってしまうと、こども電車には乗れなくなってしまいます。誰もが乗ったことがあるかもしれない、こども電車。それは今も走り続けています。この物語は、そんなメルヘン(一般的な意味で)の世界と、リアルな子どもの現実世界が重なり合うファンタジーです。明るく楽しいだけではいられないのが子ども時代かも知れず、こども電車に乗り続けることも難しいものです。それでも悲しみに沈んでいる子どもが、こども電車と出会うことで夢を取り戻していくことも出来るかも知れない。それには、現実世界での子どもたち同士の信頼と友愛が必要となります。イラストレーターの岡田潤さんの作家デビュー作となった奇想のファンタジー作品。とても評価の高い作品で、2011年の青少年読書感想文コンクールの課題図書、読書感想画中央コンクール指定図書、西日本読書感想画コンクール指定図書にも選定されています(2020年の京都新聞お話を絵にするコンクールの選定図書にもなっていますね)。現代児童文学からは亜流の異色さもあり、新鮮な感覚にあふれた一冊です。

小学五年生の慧(けい)のクラスに転校してきた松井遼(りょう)。背は高いけれど、小声で伏し目がちに挨拶をする暗い表情の少年に、慧は驚きます。名前は知らなかったものの、幼稚園児の頃からずっと、夢の中の「こども電車」で一緒に遊んでいた友だちだったのです。遼もまた最初は気づかなかったものの、慧のことを認識し、互いに、こども電車は夢だけれど現実と繋がっていることに驚くのです。前の学校でいじめられていて、警戒感で凝り固まっていた遼は、ここで慧と一緒になれたことを喜びます。とはいえ、現実では初対面である二人がなぜ親しいのかを他の人に説明することは難しいものです。慧の友だちの大樹としては、慧と遼の親密さに嫉妬を覚え、信頼関係も崩れ、仲違いすることになります。慧は大樹と自分との、友人関係を見つめ直して考えこんでしまう一方で、遼が心に抱えている苦しみに気づき、そこから救い出したいと思います。こども電車で海の国に行くことをこばんでいた遼には、水を恐れる気持ちがあり、学校のプールで泳ぐこともできません。慧は、こども電車で過去の国へと行き、その悲しい理由を知ります。慧と大樹の友情を取り戻すために、プールで100m泳ぐことに挑む遼。そこから互いに心を開い、三人は友情で結ばれるようになるのですが、少年たちの気持ちのぶつかり合いをガッチリ読ませるのがこの第一章。最後に仲良く三人で、こども電車に乗りお菓子の国へ行き、巨大パフェで乾杯というあたりも微笑ましいところです。

第二章では、同じ教室の女子たちに視点がフォーカスされます。慧たちは、女子の間にいじめが起きているのではないかと気づきます。同じクラスの愛が玲奈に嫌がらせをされていることを見てしまった慧は、心配になり、愛に声をかけますが、愛はその気遣いをこばみ、誰にも言わないで欲しいと言うのです。慧は大樹と仲違いしていた経験から、愛のことを放っておけず、クラスの代表委員である美咲に相談します。ここから正義感の強い美咲が暴走して、いじめの主犯として玲奈を教室で吊し上げることになり、その事実関係が明らかになっていきますが、玲奈は玲奈で、いじめられていたのは自分なのだと言い、取り乱します。物語は、愛と玲奈と美咲の三人の難しい関係を紐解いていくことになります。これがまた幼稚園時代に遡る確執の根っこがあったりと、小学生もまた大変なのです。やがて事態は取り返しがつかないところにまで発展していってしまい、この事件を収束するためには、クラス全員が協力して、こども電車に乗ること、が必要とされます。果たして、皆んなが、こども電車の存在を信じることができるのか。小学五年生という微妙な年ごろの子どもたちが、おそらくは最後の、こどもの時間を生きようとする姿がここにあります。夜の時間にふみこみつつある子どもたちが、友だちのために、夢を信じようとする。ここに非常に純粋でレアなものが描きだされている気がします。そんな稀有な物語です。そういえば、自分も、子どもは九時前に寝ること、という方針の下に育てられたのですが、いつもなかなか寝つけなくて、眠れないことに妙な罪悪感を覚えていました。そして、こわい夢を見がちでした。あれは母親が一人で本を読む時間が欲しかったからだという事情を後に知ることになります。まあ、気持ちはわかるところですが。